茂左衛門地蔵尊千日堂(杉木茂左衛門と磔茂左衛門一揆)
天和元年(1681)、上野国利根郡月夜野村(今の群馬県利根郡みなかみ町)名主・杉木茂左衛門 ...
日向義民地蔵(小沼庄左衛門と延宝の直訴)
延宝4年(1676)、上野国山田郡台之郷村(今の群馬県太田市)名主・小沼庄左衛門ら18人は ...
六之丞八幡宮(堀江六之丞と板倉村強訴)
寛保元年(1741)、丹南藩領の下野国足利郡板倉村(今の栃木県足利市)の百姓らが年貢減免を ...
圃租法変更紀念碑(板橋政右衛門と畑方永納一件)
明治2年(1869)、下野国那須郡大沢村(今の栃木県那須烏山市)の板橋政右衛門らは、畑年貢 ...
鈴木源之丞供養塔(鈴木源之丞と籾摺騒動)
明和元年(1764)、宇都宮藩の年貢増徴に反対して百姓4万5千人が宇都宮城下で打ちこわしを ...
大塩平八郎の墓(大塩平八郎の乱)
天保8年(1837)、「天保の飢饉」に対する幕府の無策と私欲に走る豪商らに憤慨し、元大坂町 ...
助六の首塚(福田助六と助六騒動)
安永7年(1778)、過重な年貢や助郷役の負担に耐えかねた常陸国新治郡(今の茨城県)本堂氏 ...
慈眼寺(細野冉兵衛と志戸崎騒動)
天保5年(1834)、常陸国新治郡坂村(今の茨城県かすみがうら市)において、名主が土浦藩の ...
牛久助郷一揆道標(小池村勇七と牛久助郷一揆)
文化元年(1804)、水戸街道での助郷拡大に反対するため、常陸国信太郡小池村(今の茨城県稲 ...
照山修理の墓(照山修理と検地反対強訴)
寛永18年(1641)、常陸国多賀郡金沢村(今の茨城県日立市)庄屋・照山修理しゅりは、水戸 ...
遺跡義民佐七一族累代之墓(義民腹切り佐七の伝承)
江戸時代の享保年間、常陸国那珂郡三反田村(今の茨城県ひたちなか市)庄屋の平沢佐七は、飢饉に ...
義民地蔵(磯部村清太夫と山外郷一揆)
寛延2年(1749)、笠間藩は凶作下で定免法への切替えを強行したため、常陸国茨城郡磯部村( ...