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義民の史跡

山神源治宮(椎名源治の義民伝承)

寛文2年(1662)、下総国香取郡牧野村(今の千葉県香取市)の椎名源治は地頭・黒川左馬の苛政を公儀に訴え、生埋めにして処刑されたといわれています。宝暦3年(1753)、椎名源治は石祠に祀られ、現在では...
義民の史跡

七里ヶ渡し(布施村弥五郎の義民伝承)

元禄16年(1703)、下総国相馬郡布施村(今の千葉県柏市)百姓・弥五郎は、年貢減免を領主に直訴しようとして打首に処せられたといいます。弥五郎が処刑された場所は「弥五塚」と呼ばれ、命日に村で供養が行わ...
義民の史跡

夏梅太郎右衛門顕彰碑(夏梅太郎右衛門と熊野部村訴願)

播磨国多可郡熊野部村(今の兵庫県多可郡多可町)の庄屋・夏梅太郎右衛門は、生野代官に対して何度も減租を嘆願し、ついに明和元年(1764)6月25日、村内サイノ木において火刑に処せられたと伝えられます。明...
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義民の史跡

義人大多和四郎右衛門自刃之地碑(大多和四郎右衛門の切腹伝承)

寛永20年(1643)上総国山辺郡東金町(今の千葉県東金市)の名主・大多和四郎右衛門は、飢饉に際し佐倉藩の米蔵を無断で開き、百姓に米を分け与えると、その責を負って切腹したと伝えられています。戦後、四郎...
義民の史跡

義民市東刑部左衛門之墓(市東刑部左衛門の切腹伝承)

慶長10年(1605)、上総国山辺郡東金(今の千葉県東金市)にいた元武士で、土着して名主となっていた市東刑部左衛門は、年貢減免を認めない検田使を斬り捨て、米倉の蓄えを農民に分け与えた上で、その責を負っ...
義民の史跡

義民碑と宝蔵(岡村源兵衛と延宝訴訟)

江戸幕府の「延宝検地」により豊臣秀吉以来の地子免除の特権を取り消されそうになった播磨国三木町(今の兵庫県三木市)では、平田町大庄屋・岡村源兵衛と平山町年寄・大西与三右衛門を惣代に選び、江戸へ出訴するこ...
義民の史跡

天明志士紀念碑(中筋才蔵と縄騒動)

天明2年(1782)、淡路国(今の兵庫県)では縄供出や木綿の専売強化を巡って多くの農民が大庄屋の屋敷に押し掛け、負担軽減を強訴しました。徳島藩の本藩からも役人が出張して取調べがあり、新法は廃止されたも...
義民の史跡

杢右衛門の碑(最首杢右衛門の門訴)

寛延3年(1750)、上総国夷隅郡深堀村(今の千葉県いすみ市)組頭の最首杢右衛門は、御用金の用捨願いのため旗本・阿部正甫の江戸屋敷で門訴して捕らえられ、寺院の助命嘆願もむなしく屋敷内で斬首されました。...
義民の史跡

三義民刑場跡(三義民と万石騒動)

正徳元年(1711)、安房国(今の千葉県)北条藩は川井藤左衛門を家老に登用して無理な年貢増徴を図り、領内百姓による藩邸門訴や幕府老中への駕籠訴を招きました。頭取3人は川井の独断により吟味もなく死罪とな...
義民の史跡

諸岡太左衛門の墓(諸岡太左衛門の門訴)

天明5年(1785)、上総国天羽郡金谷村(今の千葉県富津市)百姓・諸岡太左衛門が在地役人の横暴を旗本・白須政雍(まさちか)の江戸屋敷に門訴し、年貢増徴などの取止めが決まったものの、入牢の末に獄死しまし...
義民の史跡

岩野平左衛門の墓(岩野平左衛門の義民伝承)

延宝8年(1680)、上総国天羽郡百首村(今の千葉県富津市)名主の岩野平左衛門は、重税を賦課する旗本・秋元隼人正に諌言して処刑されたと伝わります。その後、祟りにより火災が頻発したことから、平左衛門は火...
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池田三郎左衛門之碑(池田三郎左衛門の強訴)

慶長16年(1611)、増税に苦しむ上総国望陀郡田川村(今の千葉県木更津市)の名主・池田三郎左衛門は、十数度にわたって幕府に再検地を求め、願いは認められたものの、強訴の罪をもって処刑されたと伝えられて...
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