義民の史跡 義民市東刑部左衛門之墓(市東刑部左衛門の切腹伝承) 慶長10年(1605)、上総国山辺郡東金(今の千葉県東金市)にいた元武士で、土着して名主となっていた市東刑部左衛門は、年貢減免を認めない検田使を斬り捨て、米倉の蓄えを農民に分け与えた上で、その責を負って切腹して果てたと伝承されています。市東... 2023.06.04 義民の史跡
義民の史跡 義民碑と宝蔵(岡村源兵衛と延宝訴訟) 江戸幕府の「延宝検地」により豊臣秀吉以来の地子免除の特権を取り消されそうになった播磨国三木町(今の兵庫県三木市)では、平田町大庄屋・岡村源兵衛と平山町年寄・大西与三右衛門を惣代に選び、江戸へ出訴することとなりました。延宝6年(1678)には... 2023.06.04 義民の史跡
義民の史跡 天明志士紀念碑(中筋才蔵と縄騒動) 天明2年(1782)、淡路国(今の兵庫県)では縄供出や木綿の専売強化を巡って多くの農民が大庄屋の屋敷に押し掛け、負担軽減を強訴しました。徳島藩の本藩からも役人が出張して取調べがあり、新法は廃止されたものの、一揆の頭取として三原郡広田宮村才蔵... 2023.06.03 義民の史跡
義民の史跡 杢右衛門の碑(最首杢右衛門の門訴) 寛延3年(1750)、上総国夷隅郡深堀村(今の千葉県いすみ市)組頭の最首杢右衛門は、御用金の用捨願いのため旗本・阿部正甫の江戸屋敷で門訴して捕らえられ、寺院の助命嘆願もむなしく屋敷内で斬首されました。地元には杢右衛門を供養するための墓碑など... 2023.06.03 義民の史跡
義民の史跡 三義民刑場跡(三義民と万石騒動) 正徳元年(1711)、安房国(今の千葉県)北条藩は川井藤左衛門を家老に登用して無理な年貢増徴を図り、領内百姓による藩邸門訴や幕府老中への駕籠訴を招きました。頭取3人は川井の独断により吟味もなく死罪となりましたが、後に幕府評定所の詮議で川井も... 2023.06.03 義民の史跡
義民の史跡 諸岡太左衛門の墓(諸岡太左衛門の門訴) 天明5年(1785)、上総国天羽郡金谷村(今の千葉県富津市)百姓・諸岡太左衛門が在地役人の横暴を旗本・白須政雍(まさちか)の江戸屋敷に門訴し、年貢増徴などの取止めが決まったものの、入牢の末に獄死しました。菩提寺の華蔵院には太左衛門の墓が営ま... 2023.06.03 義民の史跡
義民の史跡 岩野平左衛門の墓(岩野平左衛門の義民伝承) 延宝8年(1680)、上総国天羽郡百首村(今の千葉県富津市)名主の岩野平左衛門は、重税を賦課する旗本・秋元隼人正に諌言して処刑されたと伝わります。その後、祟りにより火災が頻発したことから、平左衛門は火防の神「岩平大権現」として祀られました。 2023.06.02 義民の史跡
義民の史跡 池田三郎左衛門之碑(池田三郎左衛門の強訴) 慶長16年(1611)、増税に苦しむ上総国望陀郡田川村(今の千葉県木更津市)の名主・池田三郎左衛門は、十数度にわたって幕府に再検地を求め、願いは認められたものの、強訴の罪をもって処刑されたと伝えられています。地元には池田三郎左衛門の木像を安... 2023.06.02 義民の史跡
義民の史跡 土神宮(山田藤右衛門の強訴) 延元元年(1673)、上総国望陀郡新田村(今の千葉県袖ケ浦市)の名主・山田藤右衛門は、領主である旗本・太田八十郎に年貢増徴の撤回を求め、願いは認められたものの、強訴の罪をもって遠島となりました。後に藤右衛門を祀る「土神宮」が創祀され、現在も... 2023.06.02 義民の史跡
義民の史跡 平地地蔵(吉田新兵衛と宮津藩文政一揆) 文政5年(1822)、宮津藩では年貢先納や新税賦課に反発した数万人規模の百姓による「宮津藩文政一揆」が勃発し、大庄屋の屋敷などを打ちこわしながら宮津城下に押し寄せました。家老・栗原理右衛門の名代として派遣された子の百助らが慰撫して一揆はよう... 2023.06.02 義民の史跡
義民の史跡 忍足佐内殉難の地碑(忍足佐内と西領騒動) 明和7年(1770)、安房国平郡金尾谷村(今の千葉県南房総市)名主の忍足佐内らは、年貢減免や腐敗役人の罷免を求めて勝山藩主・酒井忠隣の江戸屋敷に門訴し、打首となりました。その後、親族が幕府老中に駕籠訴して、ようやく奉行らの追放が実現したこと... 2023.06.01 義民の史跡
義民の史跡 一行山光心寺(堀越三右衛門の越訴) 寛文7年(1667)、上野国緑埜郡緑埜村(今の群馬県藤岡市)名主の堀越三右衛門は、地頭・倉橋内匠の悪政を幕府に直訴して磔刑に処せられました。その後、三右衛門の遺志を継いだ多胡郡黒熊村(今の高崎市)名主の三木市右衛門が再度直訴に及び、倉橋家は... 2023.06.01 義民の史跡