義民の史跡

宝暦義民碑(三原定次郎と郡上一揆)

宝暦4年(1754)、美濃国(今の岐阜県)郡上藩による定免法から検見法への変更に反対した領民が八幡城下で強訴したのを皮切りに、この「宝暦郡上一揆」は以後、幕府老中への駕籠訴、評定所での吟味を経て、領主...
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宗吾大明神(小木曽猪兵衛と南山一揆)

安政6年(1859)、幕府領から白河藩領となり年貢負担が増大した信濃国南山郷では、今田村(今の長野県飯田市)庄屋・小木曽猪兵衛らの指導のもとに百姓が蜂起し、代官の罷免と天領並み相場での石代納を獲得しま...
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貞享義民社(多田加助と貞享騒動)

貞享3年(1686)、信濃国安曇郡中萱村(今の長野県安曇野市)元庄屋・多田加助は年貢減免を求めて郡奉行に越訴しますが、これに追随して領内百姓1万人が松本城下に押し寄せる「貞享騒動」が起こります。松本藩...
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義民の史跡

二斗八升神社(原助弥と二斗八騒動)

延宝2年(1674)、信濃国(今の長野県)善光寺平の名主らが合議し、松代藩領の年貢を籾1俵当たり2斗8升に引き下げるよう幕府に直訴し、頭取として水内郡下高田村(今の長野市)助弥らが藩に捕らえられ処刑さ...
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横吹地蔵尊(上新田村藤助と安永中野騒動)

安永6年(1777)、年貢皆済期日の前倒しを命じられた信濃国(今の長野県)中野陣屋支配の村々が蜂起し、近隣諸藩の出兵により鎮圧されました。この「安永中野騒動」の頭取として上新田村(今の飯山市)藤助らが...
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九兵衛地蔵(西原九兵衛と飯山騒動)

天保8年(1837)、信濃国(今の長野県)飯山藩領の百姓が豪農の屋敷を打ちこわすとともに年貢減免を藩庁に要求する「飯山騒動」が起こりました。飯山藩では多くの百姓を捕らえて拷問により白状を引き出し、「無...
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馬原供養塔(穴井六郎右衛門と馬原騒動)

延享3年(1746)、豊後国日田郡馬原(まばる)村(今の大分県日田市)庄屋・穴井六郎右衛門ら3人は、幕府日田代官・岡田庄太夫俊惟(としただ)の苛政に対抗し、年貢減免と夫食米借用を求めて江戸で越訴に及び...
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与兵衛明神(増田与兵衛の越訴)

天和2年(1682)信濃国小県郡入奈良本村(今の長野県小県郡青木村)百姓・増田与兵衛は、庄屋の不正を上田藩主に直訴して処刑されたと伝わっています。現地には与兵衛を祀る「与兵衛明神」の小祠があります。
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勇吉宮(堀内勇吉の越訴)

文化6年(1809)、信濃国小県郡入奈良本村(今の長野県小県郡青木村)の百姓たちは、宿場の新建て反対と庄屋の非違を訴願するため上田城下に押し寄せ、頭取の堀内勇吉が永牢となりました。勇吉は後に「勇吉宮」...
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新七稲荷(平林新七の越訴)

享保6年(1721)、信濃国小県郡中挾村(今の長野県小県郡青木村)組頭・平林新七は、同村の西上地籍が古くから検地役人が入らないしきたりとなっていることを訴えたものの聞き入れられず、検地を強行しようとし...
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明和義民の碑(明和義民と盛枡騒動)

明和3年(1766)、大垣藩の年貢増徴策に対抗し、美濃国池田筋(今の岐阜県)ほかの農民が決起する「盛枡騒動」が起き、盛枡廃止や救米の要求が認められたものの、頭取として4人が処刑されました。彼らは「明和...
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宝暦義民の碑(清水半平と上田騒動)

宝暦11年(1761)、信濃国(今の長野県)上田藩領で年貢減免や役人罷免を求める惣百姓一揆「上田騒動」が発生し、家老が一揆勢の要求を江戸表に注進することを約束したため、上田城下での打ちこわしは終息しま...
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