義民の史跡 松木神社(松木庄左衛門と小浜藩領承応元年一揆) 小浜藩領では庄屋らが大豆年貢の引下げを繰り返し訴願するものの聞き入れられず、ついに慶安元年(1648)、若狭国遠敷郡新道村(今の福井県三方上中郡若狭町)庄屋・松木庄左衛門をはじめとする惣代が捕縛されました。拷問に屈しなかった庄左衛門は承応元... 2023.05.17 義民の史跡
義民の史跡 七稲地蔵(能美屋佐吉と安政の泣き一揆) 安政5年(1858)、米価高騰に苦しむ町民たちが卯辰山に登り、金沢城に向かって「ひもじい」などと泣き叫ぶ「安政の泣き一揆」が起こり、これが加賀・越中・能登3国にわたる「三州大一揆」の発端となりました。後に能美屋佐吉ら頭取5人が処刑されたため... 2023.05.17 義民の史跡
義民の史跡 憲盛法印大供養塔(遍照坊智専と佐渡明和一揆) 明和4年(1767)、風雨と虫害のため不作となった佐渡国(今の新潟県佐渡市)では、佐渡代官所の苛政に反発した農民らが一揆を企てたものの未遂に終わりました。この「佐渡明和一揆」では、年貢の延納などの要求が認められたものの、願書をしたためた遍照... 2023.05.17 義民の史跡
義民の史跡 本間太郎右衛門供養塔(本間太郎右衛門と佐渡寛延一揆) 寛延3年(1750)、佐渡国(今の新潟県佐渡市)雑太郡辰巳村百姓・本間太郎右衛門は江戸に出向き、佐渡奉行所の悪政を掲げた訴状を勘定奉行に提出しました。結果として佐渡奉行は免職となったものの、太郎右衛門も死罪となったため、その菩提を弔うための... 2023.05.17 義民の史跡
義民の史跡 中川善兵衛の墓(中川善兵衛と佐渡一国一揆) 天保9年(1838)、佐渡国(今の新潟県佐渡市)を訪れた幕府巡見使に対し、佐渡一国惣代として羽茂郡上山田村百姓・中川善兵衛が佐渡奉行の苛政を訴えたものの、奉行所により捕縛されてしまいました。これを契機に数万人が善兵衛の釈放を要求し、小木町の... 2023.05.17 義民の史跡
義民の史跡 杢右衛門の供養塔(因尾村杢右衛門と文化一揆) 文化9年(1812)、重税に苦しむ豊後国海部郡因尾(いんび)村(今の大分県佐伯市)ほかの百姓4千人が、「願望拾ヶ条」を掲げ強訴に及ぶ「文化一揆」が勃発します。佐伯藩では家老・戸倉織部らを出張させて百姓側と交渉し、願いの趣旨を認めましたが、そ... 2023.05.17 義民の史跡
義民の史跡 甚三郎の供養石仏(杉箸村甚三郎と敦賀打ちこわし一揆) 天明4年(1784)、越前国小浜藩領の敦賀町(今の福井県敦賀市)で米価高騰に反発する打ちこわしが発生し、頭取として敦賀郡刀根村枝郷(今の敦賀市)甚三郎らが処刑されました。しかし、安値米の販売や施粥などが進んだことから、密かに供養のための地蔵... 2023.05.16 義民の史跡
義民の史跡 鬼洞先生墓(三日市場村和左衛門と赤蓑騒動) 文政8年(1825)、信濃国四ヶ庄平(今の長野県)の貧農らが赤毛の蓑を着て大町宿などの酒屋や米屋を打ちこわす「赤蓑騒動」が起こりました。この一揆は松本藩により鎮圧され、頭取として三日市場村(今の北安曇郡白馬村)和左衛門らが永牢に処せられてい... 2023.05.16 義民の史跡
義民の史跡 宝暦義民碑(三原定次郎と郡上一揆) 宝暦4年(1754)、美濃国(今の岐阜県)郡上藩による定免法から検見法への変更に反対した領民が八幡城下で強訴したのを皮切りに、この「宝暦郡上一揆」は以後、幕府老中への駕籠訴、評定所での吟味を経て、領主の金森家が改易される宝暦8年(1758)... 2023.05.16 義民の史跡
義民の史跡 宗吾大明神(小木曽猪兵衛と南山一揆) 安政6年(1859)、幕府領から白河藩領となり年貢負担が増大した信濃国南山郷では、今田村(今の長野県飯田市)庄屋・小木曽猪兵衛らの指導のもとに百姓が蜂起し、代官の罷免と天領並み相場での石代納を獲得しました。この「南山一揆」は百姓側の犠牲者を... 2023.05.16 義民の史跡
義民の史跡 貞享義民社(多田加助と貞享騒動) 貞享3年(1686)、信濃国安曇郡中萱村(今の長野県安曇野市)元庄屋・多田加助は年貢減免を求めて郡奉行に越訴しますが、これに追随して領内百姓1万人が松本城下に押し寄せる「貞享騒動」が起こります。松本藩は加助を含む多くの百姓を処刑して事態の収... 2023.05.16 義民の史跡
義民の史跡 二斗八升神社(原助弥と二斗八騒動) 延宝2年(1674)、信濃国(今の長野県)善光寺平の名主らが合議し、松代藩領の年貢を籾1俵当たり2斗8升に引き下げるよう幕府に直訴し、頭取として水内郡下高田村(今の長野市)助弥らが藩に捕らえられ処刑されました。現地には助弥を祀る「二斗八升神... 2023.05.16 義民の史跡