義民の史跡 萩原神社(野木久右衛門と御厨一揆) 天明3年(1783)、天候不順による大飢饉に見舞われた駿河国駿東郡萩原村(今の静岡県御殿場市)をはじめとする一帯の村々では、年貢減免を求めて小田原藩への強訴を企て、城下に赴く途中で役人の説得に応じて帰... 2023.05.22 義民の史跡
義民の史跡 崖山地蔵(原嶋源右衛門と成瀬・長津田村境界相論) 享保元年(1716)、武蔵国多摩郡成瀬村(今の東京都町田市)名主・原嶋源右衛門は、都筑郡長津田村(今の神奈川県横浜市)との間の境界争いに勝訴しますが、後に不正を問われて一家全員処刑されたといわれます。... 2023.05.22 義民の史跡
義民の史跡 六之神社(浦庄屋佐兵衛と津屋崎・勝浦漁場相論) 隣浦との漁場争いが絶えなかった筑前国宗像郡津屋崎村(いまの福岡県福津市)では、浦庄屋・佐兵衛(左兵衛)ら6人が福岡藩に直訴し、6人が重さ300貫の大石を担いで海岸を移動し、力尽きた場所をもって境界とす... 2023.05.22 義民の史跡
義民の史跡 義民助兵衛の碑(中島助兵衛と桐洞村越訴) 万治3年(1660)、美濃国武儀郡桐洞村(今の岐阜県下呂市)で尾張藩の重税に反対する農民が神社に屯集し、一揆寸前の状況となりました。同村の中島助兵衛はこれを宥めて単身で江戸に上り、藩主に直訴したところ... 2023.05.21 義民の史跡
義民の史跡 折立長老碑(折立長老と遠山騒動) 江戸時代初期、旗本・遠山景直の悪政に苦しむ信濃国伊那郡遠山郷(今の長野県下伊那郡・飯田市一帯)の百姓らは、幕府に直訴するための訴状の作成を浄林寺住職の「折立長老」に依頼します。ところが、密告により捕わ... 2023.05.21 義民の史跡
義民の史跡 島田紋次郎の墓(島田紋次郎と武州世直し一揆) 慶応2年(1866)、横浜開港後のインフレによる米価高騰を契機として、上武一帯の200か村10万人が参加する「武州世直し一揆」が起こり、各地の名主・豪商宅が打ちこわされたり、岩鼻陣屋が襲撃されたりしま... 2023.05.21 義民の史跡
義民の史跡 関兵霊神社(遠藤兵内と伝馬騒動) 幕府が中山道沿いの村々に増助郷を課したことを端緒として、明和元年(1764)から翌年にかけて、武蔵・上野・信濃・下野4か国20万人が参加する大一揆「伝馬騒動」が勃発しました。幕府は百姓側の要求を全面的... 2023.05.21 義民の史跡
義民の史跡 義人庄屋源吉頌徳碑(高足村源吉の義民伝承) 三河国渥美郡高足村(今の愛知県豊橋市)庄屋・源吉は吉田藩に年貢減免をたびたび嘆願し、安永3年(1774)に要求は認められるものの、若くして病死したといいます。現地には源吉の墓のほか、頌徳碑が建てられて... 2023.05.21 義民の史跡
義民の史跡 青嶋八幡宮神社(川口市郎兵衛と磔八幡の伝承) 天和元年(1681)、駿河国富士郡青島村(今の静岡県富士市)名主・川口市郎兵衛は、検地に反対して役人を立ち入らせず、鈴ヶ森で磔刑に処せられたと伝承されています。村では密かに八幡神社に市郎兵衛を合祀した... 2023.05.21 義民の史跡
義民の史跡 天明山中騒動記念碑(北沢清兵衛と天明山中騒動) 浅間山大噴火の影響が残る天明4年(1784)、信濃国松代藩領の山中地方(今の長野県)の百姓たちが「天明山中騒動」を起こし、大挙して酒屋に押借しつつ松代城下に迫りますが、藩役人と交渉の末に解散を決めまし... 2023.05.21 義民の史跡
義民の史跡 冨田才治碑(冨田才治と虹の松原一揆) 明和8年(1771)、唐津藩の農漁民2万5千人が天領との境界にあたる虹の松原に集結し、新税撤回などを要求する「虹の松原一揆」を起こしました。肥前国松浦郡平原村(今の佐賀県唐津市)の大庄屋・冨田才治の指... 2023.05.21 義民の史跡
義民の史跡 義人小林孫左衛門之碑(小林孫左衛門と田野口領一揆) 宝暦4年(1754)、奥殿藩の飛び地であった信濃国佐久郡田野口村(今の長野県佐久市)において、年貢減免を求める百姓が陣屋に強訴する「田野口領一揆」が起き、その一部は江戸への出訴を企てました。頭取とみな... 2023.05.20 義民の史跡