平方神明社(平方村新左衛門と新左衛門公事)

公儀への訴えで犠牲となった義民たちを祀る

2023年5月13日義民の史跡

延宝3年(1675)、長島藩領の伊勢国桑名郡平方村(今の三重県桑名市)百姓・新左衛門らは、検見舂法の免除を幕府評定所に越訴し、吟味の末獄門となりました。彼らは郷土の義民として平方神明社に祀られています。

義民伝承の内容と背景

長島藩領の伊勢国桑名郡平方村は、木曽川・長良川・揖斐川の木曽三川が交わる河口の輪中地帯に当たり、たびたび水害による凶作に見舞われていました。

『長島細布』が伝えるところによれば、松平良尚が伊勢長島藩主となっていた延宝3年(1675)、その家臣の金田猪左衛門が定めた秋の検見舂法(けみつきほう)に反対し、困窮する百姓53人が連判の上、代表として新左衛門ら12人が江戸に赴き、幕府評定所に検見舂法の免除を訴えました。

この検見舂法の内容については史料がないためまったく不明であるものの、凶作下での過酷な年貢の収奪であり、多くの潰れ百姓が生じたといいます。

しかし、通報を受けて金田氏が下向し、53人とも「心次第」にしてよいとの幕府の許可も得たことから、長島藩では53人全員を搦め捕り、張本人として12人を入牢させました。

詮議の末に新左衛門ら6人が同年6月に獄屋外において斬首され、その首はそれぞれの村において獄門に懸けられ、ほか41人が在所の寺院に蟄居させられました。

一方で潰れ百姓のうち今回の連判には加わらなかった4人は、褒美として田地を与えられて、本百姓並みに耕作ができることになったともいいます。

これを「新左衛門公事」「長島騒動」と呼び、長島惣郷の百姓たちは、文化14年(1817)8月に平方村の井桁堤に「御田扇社」と呼ばれる小祠を建立し、毎年9月朔日を祭日として、新左衛門ら12人の義民を祀りました。

この社は大正4年(1915)に平方神明社に合祀されて現在に至っています。

参考文献

『長島町誌』上巻(伊藤重信 長島町教育委員会、1974年)
『三重県史』(三重県編 三重県、1964年)

平方神明社の場所(地図)と交通アクセス

名称

平方神明社

場所

三重県桑名市長島町平方953番地

備考

東名阪自動車道「長島インターチェンジ」から車で3分の道路沿いにあり、神社の目の前に「平方神社」バス停がある。

このページの執筆者
村松 風洽(フリーライター)