青嶋八幡宮神社(川口市郎兵衛と磔八幡の伝承)

検地に反対し磔となった名主を密かに合祀する

2023年5月21日義民の史跡

天和元年(1681)、駿河国富士郡青島村(今の静岡県富士市)名主・川口市郎兵衛は、検地に反対して役人を立ち入らせず、鈴ヶ森で磔刑に処せられたと伝承されています。村では密かに八幡神社に市郎兵衛を合祀したため、「磔八幡」といわれたとのことです。

義民伝承の内容と背景

江戸時代前期の延宝9年(1681)、駿河国富士郡で検地が行われました。前年8月の高潮では東海道の吉原宿が所替え(集団移転)せざるを得ないほどの被害を被るなど、領民たちはいずれも疲弊していましたが、検地は村々の実情を無視する過酷なものでした。

同時代に姉川一夢が記した地誌『田子乃古道』によれば、検地の際には執拗に棹を入れて測り直しをしたり、農地にならない荒地を無理やり村高に組み入れるなどして、「古間」と呼ばれる従来の石高との辻褄を合わせたといいます。

この石高不足の理由についても、前回の伊奈備前守による検地の際、農民から賄賂をもらって手心を加えていた棹打ちの担当者を処刑し、検地対象の村々に見せしめとして首桶を回したところ、皆が恐れをなして過大申告になったものと記しています。

こうした状況の中、青島村名主・川口市郎兵衛は検地に反対して検地役人を村に立ち入らせなかったため、駿府の代官所から江戸の勘定奉行に送られ、吟味の末に29歳にして鈴ヶ森刑場で磔に処せられました。

その後、青島村では幕府を憚って密かに川口家の鎮守社である八幡神社に川口市郎兵衛を合祀し、「磔八幡」と通称してきました。

江戸幕府10代将軍・徳川家治の時代になり、ようやくその罪が赦免され、宝暦13年(1763)には神祇官・卜部兼雄をして奉幣があったといい、現在も桐箱に入った当時の幣帛が社殿に保管されています。

境内には青島村の川口市郎右衛門らが施主となり宝永6年(1709)に建立した庚申塔などの石造物が残るほか、平成に入ってからは『サインはV!』の作者として知られる地元富士市出身の漫画家・望月あきらによる川口市郎兵衛の生涯を描いた紙芝居も奉納されています。

参考文献

『吉原市史』上巻(富士市史編纂委員会編 富士市、1972年)
『田子の古道』(富士市立中央図書館 富士市立中央図書館、2007年)
『富士市歴史散歩』(山口稔 緑星社出版部、1983年)

青嶋八幡宮神社の場所(地図)と交通アクセス

名称

青嶋八幡宮神社

場所

静岡県富士市青島町77番地

備考

東名高速道路「富士インターチェンジ」から車で10分。青島公園すぐ北の住宅街に鎮座する。

このページの執筆者
村松 風洽(フリーライター)