与茂七騒動

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義民の史跡

五十志霊神社(大竹与茂七と与茂七騒動)

正徳2年(1712)、越後国蒲原郡中之島村(今の新潟県長岡市)名主・大竹与茂七は、大庄屋の不正を新発田藩に訴えるものの、大庄屋へ非義を申し掛け徒党強訴に及んだとして翌年獄門となりました。後に与茂七を供養するための「与茂七地蔵」などが建てられ...