戸塚村善兵衛 戸塚村善兵衛(とつかむら ぜんべえ) 江戸中期の陸奥国白川郡戸塚村(今の福島県東白川郡矢祭町)の長百姓。寛延2年(1749)から翌年にかけて、年貢延納や金米借用を塙代官所に強訴した「戸塚騒動」の頭取として獄門となった。戸塚正観音堂境内に墓と徳富蘇峰撰文の義民弔魂碑が残る。
戸塚村善兵衛(とつかむら ぜんべえ) 江戸中期の陸奥国白川郡戸塚村(今の福島県東白川郡矢祭町)の長百姓。寛延2年(1749)から翌年にかけて、年貢延納や金米借用を塙代官所に強訴した「戸塚騒動」の頭取として獄門となった。戸塚正観音堂境内に墓と徳富蘇峰撰文の義民弔魂碑が残る。
義民の史跡 戸塚義民の墓(戸塚村善兵衛と戸塚騒動) 寛延2年(1749)、陸奥国白川郡戸塚村(今の福島県東白川郡矢祭町)では2年続きの不作で百姓が困窮し、塙代官所に年貢延納や金米借用を強訴する「戸塚騒動」が勃発しました。翌寛延3年(1750)2月には代... 2023.05.29 義民の史跡