義少年 義少年(ぎしょうねん) 江戸時代前期の周防国吉敷郡恋路村(今の山口県山口市)にいた2人の少年で名は不詳。寛文年間、上流の井手を切って旱害から村を救い、藩主にも窮状を直訴して要求を認めさせたが処刑され、石仏碑に祀られたという。
義少年(ぎしょうねん) 江戸時代前期の周防国吉敷郡恋路村(今の山口県山口市)にいた2人の少年で名は不詳。寛文年間、上流の井手を切って旱害から村を救い、藩主にも窮状を直訴して要求を認めさせたが処刑され、石仏碑に祀られたという。
義民の史跡 義少年合同の碑(二義少年と恋路・七房村水論) 江戸時代前期の寛文年間、周防国恋路村(今の山口県山口市)の2人の少年が、旱害に悩む村人のために宮野川上流の井手を切り、無断で川の水を村の水田まで引き入れました。この一件は上流の村との水論となって容易に... 2023.04.28 義民の史跡