【別名】畝傍村惣治郎
江戸時代中期の大和国高市郡畝傍村(今の奈良県橿原市)の百姓。明和5年(1768)の大風による凶作の際、大谷村庄屋半兵衛とともに頭取となり、旗本・神保氏領9か村の百姓千人あまりを率いて不納銀取立御免などを求めて池尻陣屋に強訴したため、明和7年(1770)に打首となる。明治時代に入ると東大谷日女命神社境内に「鳴呼義民宗次郎霊」と記す顕彰碑が建てられた。
江戸時代中期の大和国高市郡畝傍村(今の奈良県橿原市)の百姓。明和5年(1768)の大風による凶作の際、大谷村庄屋半兵衛とともに頭取となり、旗本・神保氏領9か村の百姓千人あまりを率いて不納銀取立御免などを求めて池尻陣屋に強訴したため、明和7年(1770)に打首となる。明治時代に入ると東大谷日女命神社境内に「鳴呼義民宗次郎霊」と記す顕彰碑が建てられた。