百姓一揆の遺跡を訪ねて
重清村秀(しげきよむら ひで)
江戸時代中期の阿波国美馬郡重清村(今の徳島県美馬市)組頭の妻。宝暦8年(1758)、組頭庄屋の不正を夫に代わり徳島藩家老に直訴し、組頭庄屋は追放されるが、自身は鮎喰河原で打首となり、夫も後を追い自害した。
2023年6月7日2024年11月3日義民の史跡
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