定藤仙助(さだとう せんすけ)

江戸時代中期の備後国安那郡下竹田村(今の広島県福山市)の庄屋。明和7年(1770)の福山藩明和一揆の頭取となり、要求は実現したものの北川六右衛門・渡辺好右衛門とともに打首獄門、家は闕所に処せられた。


定藤仙助の墓

2023年4月24日義民の史跡

明和7年(1770年)、備後国(今の広島県)福山藩領で凶作下での年貢増徴に反対する「明和一 ...