定藤仙助

定藤仙助さだとう せんすけ

江戸時代中期の備後国安那郡下竹田村(今の広島県福山市)の庄屋。明和7年(1770)の福山藩明和一揆の頭取となり、要求は実現したものの北川六右衛門・渡辺好右衛門とともに打首獄門、家は闕所に処せられた。

タイトルとURLをコピーしました