音羽喜助 音羽喜助(おとわ きすけ) 江戸時代前期の近江国蒲生郡音羽村(今の滋賀県蒲生郡日野町)庄屋。元和5年(1619)、日野山の山論において東郷を代表して鉄火裁判に臨み、綿向神社の神前に鉄火を献じて勝訴した。不正が露見し敗訴した西郷の石原村角兵衛は磔となった。
音羽喜助(おとわ きすけ) 江戸時代前期の近江国蒲生郡音羽村(今の滋賀県蒲生郡日野町)庄屋。元和5年(1619)、日野山の山論において東郷を代表して鉄火裁判に臨み、綿向神社の神前に鉄火を献じて勝訴した。不正が露見し敗訴した西郷の石原村角兵衛は磔となった。
義民の史跡 共有山林顕彰碑(音羽喜助と鉄火裁判) 江戸時代初期の元和5年(1619)、近江国(今の滋賀県)の日野山をめぐる山論を解決するため、馬見岡綿向うまみおかわたむき神社の境内で、熱した鉄の斧を手で握って神前に戻すことができた方を勝訴とする「火起... 2025.08.27 義民の史跡