大多和四郎右衛門 大多和四郎右衛門(おおたわ しろうえもん) 江戸前期の上総国山辺郡東金町(今の千葉県東金市)の名主。干魃に際して佐倉藩の了承を得ずに米蔵を開いて百姓を救い、自らは責任をとって息子とともに道庭村の石切橋で自刃したといわれる。
大多和四郎右衛門(おおたわ しろうえもん) 江戸前期の上総国山辺郡東金町(今の千葉県東金市)の名主。干魃に際して佐倉藩の了承を得ずに米蔵を開いて百姓を救い、自らは責任をとって息子とともに道庭村の石切橋で自刃したといわれる。
義民の史跡 義人大多和四郎右衛門自刃之地碑(大多和四郎右衛門の切腹伝承) 寛永20年(1643)上総国山辺郡東金町(今の千葉県東金市)の名主・大多和四郎右衛門は、飢饉に際し佐倉藩の米蔵を無断で開き、百姓に米を分け与えると、その責を負って切腹したと伝えられています。戦後、四郎... 2023.06.04 義民の史跡