大多和四郎右衛門

大多和四郎右衛門おおたわ しろうえもん

江戸前期の上総国山辺郡東金町(今の千葉県東金市)の名主。干魃に際して佐倉藩の了承を得ずに米蔵を開いて百姓を救い、自らは責任をとって息子とともに道庭村の石切橋で自刃したといわれる。

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