岡山

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義民の史跡

元文一揆発頭人慰霊碑(北野村藤九郎と横仙一揆)

元文4年(1739)、不作が続く美作国勝北郡(今の岡山県)の幕府領で百姓3千人が蜂起し、野非人の扮装で富家に押し掛け米や金銭を要求し、鎮圧後に北野村(今の勝田郡奈義町)藤九郎・与三右衛門が死罪となりました。現地には「元文一揆発頭人義民藤九郎...
義民の史跡

新本義民碑(義民四人衆と新本義民騒動)

享保3年(1718)、岡田藩に入会山を接収された備中国下道郡新庄村・本庄村(いずれも今の岡山県総社市)の百姓惣代4人が江戸に出向いて藩主・岡田長救に直訴し、入会地の藩有化と賦役は解消されたものの、4人は飯田屋河原で死罪となりました。この「新...
義民の史跡

首なし地蔵(牧の徳右衛門と山中一揆)

享保11年(1726)、津山藩主が夭折し減封が見込まれる中、大庄屋や藩役⼈が郷蔵の米を持ち出そうとした事件を契機として、この翌年にかけて美作国山中地方(今の岡山県北部)で4千⼈規模の惣百姓一揆「山中一揆」が発生します。津山藩は武力鎮圧の方針...