能美屋佐吉

能美屋佐吉のみや さきち

江戸時代末期の加賀藩金沢城下の髪結床。安政5年(1858)、米価高騰に困窮する民衆2千人余りが金沢城至近の卯辰山に登り、城に向かい「ひもじい」と絶叫した「安政の泣き一揆」の首謀者の一味として処刑される。後に他の犠牲者とともに供養のための「七稲地蔵」が建てられた。

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