江戸時代中期の但馬国城崎郡滝村(今の兵庫県豊岡市)の庄屋。豊岡藩の減封で天領に組み入れられ、増免や石代銀納の導入により困窮した城崎郡50か村の惣代として、享保20年(1735)に勘定奉行への駕籠訴に及ぶ。3年間の入牢後に帰村したものの、江戸での活動で財産の多くを失ったと伝えられ、地元に墓が残る。
江戸時代中期の但馬国城崎郡滝村(今の兵庫県豊岡市)の庄屋。豊岡藩の減封で天領に組み入れられ、増免や石代銀納の導入により困窮した城崎郡50か村の惣代として、享保20年(1735)に勘定奉行への駕籠訴に及ぶ。3年間の入牢後に帰村したものの、江戸での活動で財産の多くを失ったと伝えられ、地元に墓が残る。