慈眼寺(細野冉兵衛と志戸崎騒動)
天保5年(1834)、常陸国新治郡坂村(今の茨城県かすみがうら市)において、名主が土浦藩の ...
牛久助郷一揆道標(小池村勇七と牛久助郷一揆)
文化元年(1804)、水戸街道での助郷拡大に反対するため、常陸国信太郡小池村(今の茨城県稲 ...
照山修理の墓(照山修理と検地反対強訴)
寛永18年(1641)、常陸国多賀郡金沢村(今の茨城県日立市)庄屋・照山修理しゅりは、水戸 ...
遺跡義民佐七一族累代之墓(義民腹切り佐七の伝承)
江戸時代の享保年間、常陸国那珂郡三反田村(今の茨城県ひたちなか市)庄屋の平沢佐七は、飢饉に ...
義民地蔵(磯部村清太夫と山外郷一揆)
寛延2年(1749)、笠間藩は凶作下で定免法への切替えを強行したため、常陸国茨城郡磯部村( ...
勘十郎堀(市毛藤衛門と水戸藩宝永一揆)
宝永6年(1709)、松波勘十郎を登用して宝永改革を進める水戸藩では、運河開削の労役や賃金 ...
生板の三義人供養塔(片岡万平と生板一揆)
文化14年(1817)、凶作下で重税を課せられた常陸国河内郡生板まないた村(今の茨城県稲敷 ...
崖山地蔵(原嶋源右衛門と成瀬・長津田村境界相論)
享保元年(1716)、武蔵国多摩郡成瀬村(今の東京都町田市)名主・原嶋源右衛門は、都筑郡長 ...
島田紋次郎の墓(島田紋次郎と武州世直し一揆)
慶応2年(1866)、横浜開港後のインフレによる米価高騰を契機として、上武一帯の200か村 ...
関兵霊神社(遠藤兵内と伝馬騒動)
幕府が中山道沿いの村々に増助郷を課したことを端緒として、明和元年(1764)から翌年にかけ ...
大神宮義民七人様の供養碑(大神宮義民七人様と大神宮村越訴)
天和2年(1682)、安房国安房郡大神宮村(今の千葉県館山市)川坂の名主・小柴三郎左衛門ら ...