嘉永三閉伊一揆 嘉永三閉伊一揆(嘉永6年(1853年)) 弘化三閉伊一揆の佐々木弥五兵衛が牢死、南部利済は復権して院政を敷いたため、畠山太助や三浦命助を頭取に1万6千人が仙台藩に越訴、年貢減免などの要求を認めさせる。
義民の史跡 切牛(佐々木)弥五兵衛の墓(弘化・嘉永三閉伊一揆) 弘化4年(1847)、陸奥国(今の岩手県)盛岡藩主・南部利済の悪政に対し、三閉伊通の百姓1万人以上が決起し、切牛の弥五兵衛指導の下、新税撤廃などを要求して遠野城下に強訴しました。藩は百姓の要求を認め、... 2023.05.26 義民の史跡