生田万(いくた よろず)

江戸時代後期の国学者で上野国(今の群馬県)館林藩士・生田信勝の長男。藩政の腐敗を批判して追放された後、越後国刈羽郡柏崎町(今の新潟県柏崎市)で私塾・桜園塾を開く。「天保の大飢饉」による米価高騰を憂い、天保8年(1837)、「大塩平八郎の乱」に呼応して柏崎陣屋を襲撃し、自刃して果てた。


2023年5月24日義民の史跡

生田万の墓碑

天保8年(1837)、大坂で起こった「大塩平八郎の乱」に触発され、天保の飢饉による惨状を憂 ...