平沢佐七

平沢佐七ひらさわ さしち

常陸国那珂郡三反田村(今の茨城県ひたちなか市)の庄屋。享保の飢饉に際して水戸藩に無断で郷蔵を開いて穀物を農民に分け与え、その責を負って妻子を手に掛けた上で切腹したという伝説をもつ。切腹した場所に建てられた墓が明治以降に参詣者が増えて霊堂が営まれ、現在は佐七山福道寺という日蓮宗寺院になっている。

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