岐阜

広告
義民の史跡

殉義蘇民の碑(広瀬屋清七郎と天明大原騒動)

飛騨郡代・大原亀五郎は、「一条金」6千両余りを村々から借り入れたり、年貢の過納金を返還せず献納を強制したりしたため、飛騨国益田郡跡津村(今の岐阜県下呂市)出身で高山陣屋の取次役だった広瀬屋清七郎らは、郡代の不正を老中・松平定信や幕府巡検使に...
義民の史跡

義民供養の石地蔵(伊深義民事件)

天和2年(1682)、旗本・佐藤継成の知行所だった美濃国加茂郡伊深村(今の岐阜県美濃加茂市)では、不作で困窮した百姓らの代表が江戸に上りに年貢減免を幕府目付に越訴し、うち多数が牢死又は死罪となりました。現地には「伊深義民の碑」と称する供養碑...
義民の史跡

義民助兵衛の碑(中島助兵衛と桐洞村越訴)

万治3年(1660)、美濃国武儀郡桐洞村(今の岐阜県下呂市)で尾張藩の重税に反対する農民が神社に屯集し、一揆寸前の状況となりました。同村の中島助兵衛はこれを宥めて単身で江戸に上り、藩主に直訴したところ、重税は解消されたものの、助兵衛は牢死し...
義民の史跡

宝暦義民碑(三原定次郎と郡上一揆)

宝暦4年(1754)、美濃国(今の岐阜県)郡上藩による定免法から検見法への変更に反対した領民が八幡城下で強訴したのを皮切りに、この「宝暦郡上一揆」は以後、幕府老中への駕籠訴、評定所での吟味を経て、領主の金森家が改易される宝暦8年(1758)...
義民の史跡

明和義民の碑(明和義民と盛枡騒動)

明和3年(1766)、大垣藩の年貢増徴策に対抗し、美濃国池田筋(今の岐阜県)ほかの農民が決起する「盛枡騒動」が起き、盛枡廃止や救米の要求が認められたものの、頭取として4人が処刑されました。彼らは「明和義民」と呼ばれ、地元に墓や顕彰碑が建てら...
義民の史跡

本郷村善九郎の墓(万葉善九郎と大原騒動)

江戸時代の飛騨国(今の岐阜県)には幕府直轄地として高山陣屋が置かれていましたが、飛騨代官(郡代)である大原彦四郎・亀五郎父子の悪政に対しては、明和年間・安永年間・天明年間の3度にわたって一揆が発生しています。このうち検地強化を巡る「安永騒動...