藤田猪兵衛

藤田猪兵衛ふじた いへえ
【別名】藤田伊兵衛

江戸時代前期の丹波国船井郡仏主村(ほどす)村(今の京都府船井郡京丹波町)百姓。庄屋だったともいう。園部藩が水帳(検地帳)に基づく年貢のほか、高率の税や課役を賦課するため惣百姓が困窮しているとして、寛文6年(1666)、京都所司代に越訴した。猪兵衛は敗訴して園部藩に身柄を引き渡され、延宝3年(1675)に牢死しているが、妻・おこんも同様に直訴して入牢した後、恩赦を受けて帰村したことが知られる。

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