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義民の史跡

義民小村田之助墓所(小村田之助の義民伝承)

寛永20年(1643)、讃岐国山田郡小村(おもれ)(今の香川県高松市)を干魃が襲い、庄屋の小村田之助は、皆済できなければ庄屋が私費で弁済する条件で困窮百姓の年貢分納を高松藩に提案しました。しかし、庄屋...
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井之宮神社(中条右近太夫と嶺田村越訴)

寛永3年(1626)、遠江国城東郡嶺田村(今の静岡県菊川市)の中条右近太夫は、水不足に悩む村人たちのため、密かに土地を測量の上で、灌漑用水の開削を将軍に直訴しました。右近太夫は処刑されるものの、天下普...
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留魂之地碑(河合清右衛門と比留輪山騒動)

三河国渥美郡野田村と赤羽根村(いずれも今の田原市)の両村では、しばしば比留輪山を巡る山論が発生していました。寛文13年(1673)、野田村では幕府に越訴を繰り返し、評定所の裁決で枝打ちなどの権利を認め...
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義民の史跡

滝脇村石御堂(松平辰蔵と加茂一揆)

天保7年(1836)、三河国(今の愛知県)加茂郡で凶作や米価高騰を機に「加茂一揆」が勃発し、額田郡を合わせ1万人規模に拡大しました。彼らは下河内村(今の豊田市)の松平辰蔵を頭取として、「世直し」を称し...
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飯野八兵衛・中垣善三郎の墓(飯野八兵衛と芋八騒動)

挙母藩は寛延2年(1749)の国替えで内藤氏の領地となりましたが、築城などに伴う財政負担が農民に転嫁され、検地や年貢の取立てが厳しく行われるようになりました。そこで宝歴2年(1752)、飯野・迫・四郷...
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清兵衛地蔵(石上清兵衛と高柳村訴願)

元禄5年(1692)、駿河国志太郡高柳村(今の静岡県藤枝市)の庄屋・石上清兵衛は、数年来の不作を理由として、田中藩の代官に年貢減免を訴願しました。代官に首と引換えにと脅された清兵衛は動じることなく、元...
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平称霊神(平井兵左衛門と小豆島正徳一揆)

正徳元年(1711)、高松藩預地となっていた讃岐国小豆島では、池田村(今の香川県小豆郡小豆島町)大庄屋・平井兵左衛門が年貢負担の軽減を求めて幕府に越訴し、斬罪獄門となりました。人々は平井兵左衛門の墓を...
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平方神明社(平方村新左衛門と新左衛門公事)

延宝3年(1675)、長島藩領の伊勢国桑名郡平方村(今の三重県桑名市)百姓・新左衛門らは、検見舂法の免除を幕府評定所に越訴し、吟味の末獄門となりました。彼らは郷土の義民として平方神明社に祀られています...
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義民喜八の碑(辺法寺村喜八と亀山騒動)

明和5年(1768)、伊勢国(今の三重県)亀山藩領の百姓5千人以上が藩の年貢増徴に反対する一揆を起こし、代官罷免などを認めさせました。この一揆は「亀山騒動」と呼ばれますが、頭取の辺法寺村(今の亀山市)...
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寛政一揆顕彰碑(町井友之丞と安濃津地割騒動)

津藩では郡奉行・茨木理兵衛の下で財政改革が進められていましたが、その一つの均田制により田畑を奪われることを恐れた伊勢国一志郡(今の三重県津市ほか)の農民たちが寛政8年(1796)暮れに蜂起し、その波は...
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浮石義民墓所(藤井角右衛門と浮石義民事件)

宝永7年(1710)、凶作下で年貢の厳しい取立てを続けた長府藩筆頭家老の椙杜家に対抗し、長門国豊浦郡浮石村(今の山口県下関市)では給庄屋・藤井角右衛門を中心とする5人が幕府巡検使に年貢減免の直訴を行い...
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本郷村善九郎の墓(万葉善九郎と大原騒動)

江戸時代の飛騨国(今の岐阜県)には幕府直轄地として高山陣屋が置かれていましたが、飛騨代官(郡代)である大原彦四郎・亀五郎父子の悪政に対しては、明和年間・安永年間・天明年間の3度にわたって一揆が発生して...
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