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先賢・循吏の史跡

三王神社(原喜右衛門と藤森堤)

江戸時代前期、吉野川の洪水による被害を防ぐため、徳島藩の貞光(さだみつ)代官・原喜右衛門は石積みの「藤森堤」を築堤しました。しかしながら、その過程で周辺の村々に夫役を命じたことが藩主への直訴を招き、喜...
先賢・循吏の史跡

堀川改修記念碑(小浜町奉行・武久権十郎と堀川開削)

江戸幕末にしばしば大火に見舞われた若狭国遠敷(おにゅう)郡小浜町(今の福井県小浜市)では、町奉行の武久権十郎(たけひさごんじゅうろう)が町方の助力を得て堀川を開削し、以後大火のおそれはなくなりました。...
先賢・循吏の史跡

鑑雄神社(岡村十兵衛の自刃事件)

貞享元年(1684)、不作・不漁で餓死者も出た土佐国安芸郡(あきぐん)羽根浦(今の高知県室戸市)では、土佐藩分一役(ぶいちやく)として赴任していた岡村十兵衛が、藩の許可なく米蔵を開いて飢えた人々に米を...
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先賢・循吏の史跡

西与一左衛門の碑(代官・西与一左衛門と海津浜の石積)

近江国高島郡の海津浜(今の滋賀県高島市)では、高波により宅地や道路が冠水する被害がしばしば生じていたことから、甲府藩領の代官であった西与一左衛門は、元禄16年(1703)におよそ1.2キロメートルにわ...
義民の史跡

義人清介氏之碑(中野村清介と才勝井をめぐる水論)

天正17年(1589)8月、近江国浅井郡(今の滋賀県)では中野村と青名村・八日市村(いずれも今の長浜市)との水論から刃傷事件が発生し、豊臣政権の「喧嘩停止令」に背いたとして、3村から1人ずつ成敗される...
義民の史跡

共有山林顕彰碑(音羽喜助と鉄火裁判)

江戸時代初期の元和5年(1619)、近江国(今の滋賀県)の日野山をめぐる山論を解決するため、馬見岡綿向(うまみおかわたむき)神社の境内で、熱した鉄の斧を手で握って神前に戻すことができた方を勝訴とする「...
先賢・循吏の史跡

一木神社(一木権兵衛と室津港改修)

土佐国土佐郡布師田(ぬのしだ)村(今の高知県高知市)の一木権兵衛は、土佐藩の野中兼山に認められて普請奉行となり、室津港の改修を指揮しました。工事の支障となる港口の岩礁に悩まされた権兵衛は、海神に牲(い...
義民の史跡

義民宗次郎の碑(畝傍村宗次郎と旗本神保氏領強訴)

明和5年(1768)、大和国(今の奈良県)では凶作をきっかけに旗本・神保氏領内の9か村、千人あまりの百姓が池尻陣屋へ強訴に及び、不納銀の取立て免除などの要求を代官に認めさせました。その後の厳しい吟味に...
義民の史跡

平吉霊神(安住寺村平吉と村方騒動)

江戸時代中期、淡路国三原郡安住寺村(今の兵庫県南あわじ市)の平吉は、年貢米の取立てを巡る庄屋の不正を藩に直訴し、百姓の負担は軽くなったものの、自身は入牢の末に牢死したとも、死罪になったともいわれます。...
義民の史跡

五社霊神(渡部権太夫と徳能村箱訴事件)

伊予国桑村郡徳能村(今の愛媛県西条市)の庄屋・渡部権太夫は、西国巡礼を装って江戸に上り、目安箱に訴状を投じて松山藩の苛政を改めさせたと伝えられます。貞享3年(1686)、藩政を誹謗した罪により権太夫の...
書誌その他

自由研究で「義民(ぎみん)」について調べよう

夏休みの宿題のひとつとして、社会科の自由研究がある学校も少なくありません。でも、自由研究のテーマを何にしようか考えても、なかなか見つからなくて、なやんでしまうことはないでしょうか。そんなときには、小学...
義民の史跡

若杉霊神(若杉春后と諫早騒動)

寛延3年(1750)、佐賀藩の御家騒動に端を発し、諫早領1万石の減知反対を求める「諫早騒動」が起こります。この一揆には武士・町民・農民までが参加し、1万人以上が佐嘉城下へ強訴しようとしたほか、大坂町奉...
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