義民の史跡

置塩神社(滑甚兵衛と播磨寛延一揆)

凶作や御用金賦課により百姓の負担が増大した播磨国(今の兵庫県)姫路藩領では、寛延元年(1748)から翌年にかけて1万人規...
義民の史跡

平尾代官所跡(西谷村又兵衛と竜門騒動)

大和国吉野郡龍門郷(今の奈良県吉野郡吉野町・宇陀市)15か村は旗本・中坊広風の知行所でしたが、出役(代官)の浜島清兵衛が...
義民の史跡

戸谷新右衛門の墓地(戸谷新右衛門と高野枡一揆)

享保5年(1720)、紀伊国伊都郡(今の和歌山県)高野山領の年貢の不正徴収に関連して、島野村庄屋・戸谷新右衛門が幕府に越...
義民の史跡

東村勘右衛門碑(松田勘右衛門と鳥取藩元文一揆)

元文4年(1739)、凶作にもかかわらず請免制による厳しい年貢取立てが行われた鳥取藩領では、5万人規模の惣百姓一揆「元文...
義民の史跡

宅和伊助翁神霊碑(宅和伊助と神門郡強訴)

享保17年(1732)、出雲国神門郡松寄下村庄屋・伊助と荒木村庄屋・源左衛門(いずれも今の島根県出雲市)は、蝗害による年...
義民の史跡

元文一揆発頭人慰霊碑(北野村藤九郎と横仙一揆)

元文4年(1739)、不作が続く美作国勝北郡(今の岡山県)の幕府領で百姓3千人が蜂起し、野非人の扮装で富家に押し掛け米や...
義民の史跡

犬田布騒動記念碑(新山為盛と犬田布騒動)

江戸時代、薩摩藩の支配する奄美群島の徳之島では、特産物である黒糖の専売制が強化され、密売は死罪にあたる大罪とされていまし...
義民の史跡

新本義民碑(義民四人衆と新本義民騒動)

享保3年(1718)、岡田藩に入会山を接収された備中国下道郡新庄村・本庄村(いずれも今の岡山県総社市)の百姓惣代4人が江...
義民の史跡

五社神社(山口吉右衛門と藍玉一揆)

宝暦6年(1756)、徳島藩による藍専売制強化を巡り、阿波国内(今の徳島県)の藍作農家による徳島城下への強訴が計画されま...
義民の史跡

秀塚神社(重清村秀と重清騒動)

宝暦8年(1758)、阿波国美馬郡重清村(今の徳島県美馬市)組頭の妻・お秀は、村を代表して組頭庄屋の不正を徳島藩家老に直...
義民の史跡

下田隼人翁碑(下田隼人の直訴事件)

江戸時代前期、小田原藩は財政悪化を埋め合わせるため領内の総検地を実施するとともに、新税として麦租を導入しようとしました。...
義民の史跡

久末義民地蔵(久末義民の門訴事件)

元禄6年(1693)、武蔵国橘樹郡久末村(今の神奈川県川崎市)が領主・佐橋内蔵之助の屋敷に年貢減免の門訴をしたところ、百...