先賢・循吏の史跡

恩田木工民親の墓

財政改革の試みがことごとく失敗した信濃国(今の長野県)松代藩において、宝暦7年(1757)に勝手方御用を命じられた家老の...
先賢・循吏の史跡

橋本祐三郎首塚

美濃国(今の岐阜県)岩村藩の代官であった橋本祐三郎は、凶作に苦しむ農民に同情して年貢の延納を認めたものの、公金取扱上の不...
先賢・循吏の史跡

大原幽学遺跡

農村の荒廃が進んだ江戸時代後期、下総国香取郡長部ながべ村(今の千葉県旭市)の招聘を受けた農政学者・大原幽学は、先祖株組合...
先賢・循吏の史跡

藤江監物父子墓所

享保9年(1724)、日向国(今の宮崎県)延岡藩の家老・藤江監物は、郡奉行の江尻喜多右衛門に命じて臼杵郡出喜多村(今の延...
義民の史跡

義民田坂市良右衛門碑(田坂市良右衛門の義民伝承)

江戸時代末期の安政年間、岩国藩領の周防国(今の山口県)玖珂郡では、代官が会所に客人を集め贅沢にふけっていました。代官を諌...
義民の史跡

義民清兵衛之碑(市原清兵衛の直訴事件)

寛政12年(1800)、丹波国多紀郡市原村(今の兵庫県丹波篠山市)の清兵衛は、篠山藩の出稼ぎ禁止令で杜氏らが困窮している...
義民の史跡

白井半左衛門供養塔(白井半左衛門の義民伝承)

享保16年(1731)、丹波国多紀郡福住村(今の兵庫県丹波篠山市)庄屋の白井半左衛門は、私費をもって福住の集落に灌漑・防...
義民の史跡

平井庄屋太兵衛碑(平井村太兵衛と松山藩越訴)

寛文8年(1668)、宇陀松山藩では用人頭による政策のために百姓が難渋し、大和国宇陀郡平井村(今の奈良県宇陀市)庄屋・太...
義民の史跡

梅ぼし半十郎観音(松岡半十郎と市川騒動)

万延元年(1860)、福知山藩の専売制強化に憤る義賊・松岡半十郎が産物会所を襲い、直後に大規模な百姓一揆が勃発しました。...
義民の史跡

伏見義民小林勘次碑(小林勘次と伏見町越訴)

元和4年(1618)、淀川の船銭が値上げされ、伏見の商人や旅人が難儀するのを見た山城国伏見町(今の京都府京都市)の薪炭商...
義民の史跡

大石義民の碑(庄屋彦治と富川村越訴)

慶長18年(1613)、膳所藩の重税に悩む近江国粟太郡富川村(今の滋賀県大津市)庄屋・彦治と弟の源吾は、鈴鹿峠を通る幕府...
義民の史跡

人頭税石(蒲戸砂川と多良間騒動)

1854年、琉球国の多良間島(今の沖縄県宮古郡多良間村)では役人が不正に税を取り立てたことから、蒲戸砂川(かまどうるか)...
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